未来の価値

第 22 話


「ルルーシュ、いい加減休もうか」
「いやスザク、その前に、お前はどうしてここにいるんだ」

既に日はとっぷりと暮れた丑三つ時。
ルルーシュは、以前会った時よりも濃いクマを作りながらひたすらに書類と格闘いしていた。肌が白いからそのクマはよく見え、いかに彼が疲労しているかよく分かる。表情も疲れ切っていて、その瞳に覇気がない。執務室にはそんなルルーシュと、心労のあまりやつれたジェレミア、そして腕を組み、にっこり笑顔のスザクの3人がいた。
スザクはにこにこと上機嫌に笑っているのだが、その目は笑っているように見えず、何処か怒っているように見えた。そう、いくら見ても表情と認識した感情が真逆なのだ。
こんなスザクがどうしているのだろうか?
いやそもそも今は真夜中。
何度時計を見ても2時を回った所だ。14時では無く2時。
外は草木も眠る静かな闇夜。
そんな時間の政庁内執務室に、特派に所属する軍人が来るはずがない。
ということは。

「・・・ああ、幻覚か」

きっとそうだと、ルルーシュは書類に視線を戻した。
妙な幻覚のせいで時間を無駄にしてしまった。

「ええ!?待ってよ!今僕、幻覚扱いされた!?」

嘘!?
スザクは組んでいた腕を解き、驚き目を見開いてルルーシュを見た。

「煩い、黙れ。今は幻聴を聞いている暇はないんだ」

そう言いながら、ルルーシュは迷うことなくペンを紙の上に走らせる。
几帳面で美しい文字に一切の乱れはないのだが。

「ちょ、ちょっと待って!!ちょっと待ってよルルーシュ!幻聴とか幻覚とか待ってホントに待って!洒落にならないから!」

っていうか、すんなり幻を受け入れないで!
非科学的な事を信じないルルーシュが、非科学の代表と言ってもいい幻覚を認めた事実にスザクだけでは無い、ジェレミアもざわりと肌を粟立せた。
これは拙い、拙すぎる。
拙いってレベルを超えている。
スザクは慌ててルルーシュに駆け寄った。

「ルルーシュ、ストップ!ストップだってば!仕事は終わり!手、止めて!ねえ、聞いてよ!あーもう、ジェレミア卿、手伝ってください!」

完全にスザクの言葉を無視する姿勢を取ったルルーシュは、機械のように手を動かし続けていたので、スザクはその手を掴み、目の前に置かれていた書類を空いている場所に移動させた。

「ほわぁぁぁ!?な!?邪魔をするな、幻覚の癖に!!」

何て迷惑な幻覚なんだ!
まさか俺に触ることが出来るなんて!
ルルーシュは幻覚を払おうと、掴まれた腕を振り回し暴れ始めたため、スザクはその体を抱きしめて行動を封じた。弱りきっている身体はそれだけであっさりと行動を封じられた。ただ、その手は完全に封じきれなかった。

「幻覚じゃないから!ジェレミア卿!ペン!危ないからルルーシュから奪ってください!責任は、僕が取りますから!ルルーシュ!やめろって言ってるだろ!」
「離せと言っている!!」
「こ、心得た!」

こうなったらもう強硬手段しかないと、ジェレミアと共にルルーシュを執務机から引き剥がしにかかる。碌に体力がないはずのルルーシュは、それでも軍人二人相手に必死の抵抗を続けた。

「離せ偽物!本物のスザクなら俺の邪魔をしないはずだ!」

こんなに姿形が似ているなら、性格も似せてから出直してこい!!

「冗談でしょ!?本物だから邪魔をするんだ!もう諦めろルルーシュ!」

暴れるな!怪我するだろ!君が!!
がつん、といい音が響き、ルルーシュは顔を俯けて悶絶した。
向う脛を机に打ちつけたらしい。

「ほら言っただろ。大人しくしてよ」

ああ、痛そうだとスザクは息を吐いた。



不眠不休で書類さばきを続けるルルーシュを止めるため、心労でやつれたジェレミアがスザクに助けを求めて10分後。既に就寝していたスザクは寝癖も直さず走ってきた。前以上の書類の山に埋もれていたルルーシュを見て「また休まないで仕事をしているんだ・・・」と、思わず米神に青筋を立て、ついつい笑顔で「休もうか」と言ったら幻扱いされたのだ。
人間、脳を休ませること無く起き続けていると、幻覚を見ると聞いた事があるが、まさか本当だとは思わなかった。
ナナリーと会ったのは10日前。その前の睡眠だって十分じゃなかったのに、あの日以上の疲弊した姿から、10徹している可能性もあると冷や汗が流れる。

「くそ!幻覚のくせに本物だと主張するとは図々しい!いつも通り視界の端で漂っていればいいだろうが!」

今までも視界に入ってうっとおしかったが、邪魔はしなかったじゃないか!

「あーもー!僕は本物なんだってば!ってか、幻覚が見えるようになった時点で休んで!お願いだから!」

今までって何!?何時から幻覚見てるのさ君は!
暴れるルルーシュ・・・と言っても体力も腕力もアレなため抵抗と言えるレベルでは無いのだが、今のルルーシュは加減も何も出来ていない。
机にしたたかに打ちつけて悶絶したのがその証拠だ。
下手をしたら怪我をさせてしまうと、そこは慎重に扱い、どうにか肩に担ぎあげたスザクは、急いで部屋の外に出た。
担ぎあげたルルーシュは、離せといいながら自由な足で蹴り、自由な腕で背中を殴っているが、疲労困憊しているルルーシュの力など肩たたき程度のものだったし、すぐに体力が切れて大人しくなった。
外の通路には、まさかここまでルルーシュが休んでいないとはと、茫然とした表情でたたずむクロヴィスがいて、その横にはやつれた顔のキューエルが居た。夜会から戻ってきたクロヴィスに、もう限界だとジェレミアとキューエルがルルーシュの惨状を進言し、室内を見たクロヴィスがスザクを呼ぶよう命令したのだ。スザクが来るまでの間、クロヴィスも相当頑張ったらしいが、憔悴した表情を見る限り、スザクと同じく幻覚扱いされたのかもしれない。
あれは、地味に・・・いや、かなりきつい物があったから、気持ちは解る。

「クロヴィス殿下、急ぎの書類もあるかもしれませんが、ルルーシュ殿下は休ませます。明日のお昼までルルーシュ殿下の休暇を頂いてもよろしいでしょうか」

昼まで寝かせます。と、いくら細身とはいえ成人近い男性を難なく担いでいるスザクの言葉に、クロヴィスは真剣な表情で頷いた。

「ああ、もちろんだとも。昼と言わず明日いっぱいは休みにする。だから枢木、すまないがルルーシュを頼むよ」
「イエス・ユアハイネス」

ちゃんと礼を取りたいが、ルルーシュを担ぎあげている為、言葉だけ返す形になってしまう。皇族に対して失礼なのはわかりきっているが、皇族であるルルーシュを担ぎあげた時点で、それは些細な事だと諦めている。

「邪魔するなと言っているだろうが、馬鹿スザク!お前はどこまでイレギュラーなんだ!」

少し休んで回復したのか、肩から降りようとなおも抵抗しようとするルルーシュだが、スザクががっちりと足を押さえている為びくともしない。

「はいはい。もう解ったからベッドに行こうね。では、失礼します」

騒ぐルルーシュを担ぎあげたまま歩き出すと、ドアの傍で待機していた、こちらも疲れ切った表情のキューエルが、先ほどよりも明るい顔で先導してくれた。



「・・・・・」
「言い訳なら聞くよ?」
「・・・いや、その・・・」
「ねえルルーシュ、いいかい?よく聞いてほしいんだけど、幻覚とか幻聴は」
「もういい、解っている!」

ルルーシュは今まで俯けていた顔を勢い良く上げた。その頬は赤く染まり、その両目はあまりの状況にショックを受けたのか潤んでおり、スザクは一瞬で怯んだ。
一度寝て脳を休めたことで、ありもしない幻覚と幻聴を日常のように受け入れ、平然と仕事をしていただけではなく、スザク達まで幻扱いしたのだ。
何たる失態。
穴があったら入りたいほど、ルルーシュは恥いっていており、今一人だったなら本気で泣いていたかもしれないほど動揺していた。

「・・・っ、解ってるなら休んでよ!」

そう怒鳴り付けぎろりと睨むと、ルルーシュは再び顔を俯かせた。
ベッドの上で胡坐をかき、腕を組み、鬼の形相でにらみつけているのはスザク。
ベッドの上で正座をし、耳まで真っ赤にさせながら項垂れているのはルルーシュ。
その姿に、スザクは大きなため息を吐いた。
先日も似たような状態だった。この頭はいいくせに時折間の抜けたミスをする幼馴染は、前回同様今回もまた自分の体調管理をすっかりと無視するという間の抜けた行動に出てしまい、不眠不休で書類を裁き、公務も行っていたのだ。
恐ろしいのは、そんな状態で処理した書類にはミス一つない所だろう。
ミスが一つでもあれば、それを理由に休んでくださいとジェレミア達も強く出れるのだが、全て完ぺきにこなしてしまうためこんな状態になるまで何もできなかったという。
視察に関しても完璧すぎて非の打ちどころがなかったそうだ。
無駄に高い能力が、今回もまた悪い方向に働いてしまった。

「何をそんなに慌ててるんだよ。確かに君は自分の力を示す必要があるかもしれないけど、ここで無理をして倒れたら元も子もないだろう」

ひとしきり怒鳴って気が済んだのか、スザクは眉尻を下げ、困ったような表情でルルーシュを見た。
昼過ぎまで目を覚ますことなく眠ったルルーシュは、まだクマもうっすら残っているし、いくらか顔色が悪い気がするが、幻覚と幻聴は消えたらしい。そんな発言をした事が恥ずかしいと顔を赤くしているが、その発言のおかげでどれだけ危険な状態か判断できたのだから、次からは発言しないというおかしな方向に思考が向かわないといいんだけど。というおかしな心配をする羽目になっていた。
そんなルルーシュは、暫く口を閉ざした後、ポツリとつぶやいた。

「・・・発表されることが決まったんだ」
「何を?」

発表?

「俺が、このエリア11で生存していた事をだ。皇位継承権の復帰と、生存の報告のため、謁見をする事になった。・・・もちろん報道も入った公式の謁見だ」

それは、その時を境にナナリーに好奇の目が向けられるという事。

「だから、少しでも多くの実績を残し、報道での俺の心証をよくしておく必要があるんだ。俺が、ナナリーによって癒されたことで、ここまで公務をこなせるようになったと示す必要がある」

ナナリーのおかげで、ルルーシュが救われた事をアピールし、皇室を欺きながらも主を守ったアッシュフォードが、どれだけルルーシュのために動き、どれだけの教育を施したのかを、マスコミがルルーシュの公務の内容を調べた時、目に見えて解る状態にしておく必要があった。
そうしなければ、アッシュフォードは皇子の死を偽装して皇帝を、ブリタニアという国を欺き、皇子を私欲のために保護という名の誘拐・監禁をしていたことになるだろう。皇子の心を癒すなら、死を偽装する必要はないのだから。かといって、暗殺に関する話など出来るものではない。

「ここを乗り越えられるかどうか。それでナナリーとアッシュフォードの未来は決まる」

ここが正念場なのだ。
だから、休んでなどいられない。

「ルルーシュ・・・」

体を動かす事ならばいくらでも協力できるのに。
スザクは自分は無力だと痛感し、唇をかんだ。

「だが、ありがとうスザク」
「え?」
「幻覚など見て、おかしな言動をする姿を見られたらその時点で終わりだ。お前のおかげで助かったよ」

精神科に入れられる所だ。
苦笑しながら言われた言葉に、スザクはますます眉尻を下げた。

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